「アスリートポルノ」という考え方

今日金スマみてて、最近考えていることが少し自分の中で言語化できたので、備忘録がてら書き残しておこうと思って書いてます。

 

 

障害者ポルノ

乙武さん( @sitkfav1 ‏ )がよく「障害者ポルノ」の話をされているのをみて、確かにそういう感じあるし、自分もそういう見方をするし、実際感動したり、心を突き動かされたりするから、良い悪いという話ではなく、そういうことあるよなあと感じてました。

そんで、最近思ってたことというのが、スポーツの世界にもそういう雰囲気あるよなあということです。

 

 

実際、そういう雰囲気ってあってしかるべき、というか、アートとか音楽に対して感動するのは、その裏側や過去にある物語や苦労、技能を習得するまでの努力や作品ができるまでの過程といったものを想像するから感動する、という話を聞いたことがあって、スポーツを見て感動するのも同じ構造だと思っていて。

しかしながらある意味、その人の物語というか苦労や不幸や血の滲む努力みたいなものに対して感動するというのは本質的なものなのだとも思います。(というか、そうなのだと思います。僕はアーティストでもアスリートでもないのでわかりません。これから書く内容に不快な思いをされた方がいれば先にすみませんと謝罪を述べておきます。)

 

とりあえずスポーツ界隈の話に限定して話を続けます。

 

 

内村航平選手のプロ転向

こんな考えを持ったのは、内村選手がプロ転向を表明して、数週間?数ヶ月?くらい経ったころに出た記事が発端です。

多分別にこの記事も悪いこととして伝えた訳ではないと思うのですが、こういう取り上げられ方するってことは、少なくともこのタイトルに反応する人がいるという算段があったはずで、これに対して僕はすっごく違和感を覚えたのです。

 

 

当時は上のように考えをFacebookに投稿しましたが、それからというもの、スポーツとお金についてより深く考えるようになりました。

 

なんでこんなことが記事になるの?っていう感じでした。

いや、普通の人ならもっと年収高い方がいいっておもうでしょ?と。w

なんでアスリートはお金のことこだわっちゃいけないのだと。

 

そもそも体操でこんだけ稼げるなんてすごいし、もっと純粋に、すげぇ!!って言って欲しかったし、体操ってこんだけ稼げるんだぜって、もっとみんな体操やろうぜって言って欲しかったし。

 

お金の為にやってるわけではないとか、好きだからやっているとか、それって見てる側の勝手ですよね。

まあ、選手も別に見てる人のためにやってないから、お互い勝手でやっていることで、別にどうこう言う問題ではないのですが。

 

でも、おかしくないですか。

同じ仕事やってより高い給料もらえるならそっちがいいに決まってますよね。

 

 

スポーツ選手という仕事

ただ、障害者ポルノとは少し状況が違うところもあります。

スポーツ選手、とくにプロスポーツ選手は、見られる職業と言えます。半ば芸能人のような。

それであれば、自分自身を見られて批評されてなんぼみたいなところもあると思います。

 

でも、お金のことって見られて批評されるべき対象なのかを考えておきたい。

恋愛とか病気とか、家族とか、そういう問題も同じです。

いわゆるプライベートな部分。

そこって重要じゃないよねと。

 

芸能人のスキャンダルに対する反応にも同じく違和感を覚えていて、そのアスリートやら芸能人やらが、世間一般に対して見せようと思っているものは、その競技のパフォーマンスであり、俳優なら演技であり、歌手なら歌だと思うんですよね。

 

 

もちろん、普段テレビやネットなどの電波を通して僕ら一般人が得られる情報は限られているから、偏ったイメージを覚えてしまうのも仕方ないと思います。

 

だけど、競技や演技、電波を通したパブリックイメージと、プライベートな部分がバッチリ一致する人の方が少ないと思ってて、そんな聖人君主みたいな人ってそうそういないと思ってます。

というかそれが普通じゃないのかと。

 

もちろん選手としても素晴らしいし、その私生活も非の付けどころのない完璧な人もいます。

僕らの身近にも、仕事もできて、コミュ力も高くて、女子力も高くて、おうちも綺麗、みたいな人もいるはずですけど、少ないですよね。

 

めっちゃすごい選手だって、昼まで寝てる時もあるだろうし、酒に酔ってへべれけになる時だってありますよ。

にんげんだもの。

 

 

 

こういうところに、障害者ポルノと同じ現象を感じたのです。

 

 

 

スポーツとお金

僕の興味は、別に不倫とかスキャンダルではなくアスリートとお金の関係だけなので、お昼のワイドショーや雑誌のゴシップが好きな方は引き続きお楽しみいただければと思うのですが、アスリートとお金の関係に関しては少し関心を持っていただきたいと思ってます。

 

 

武井壮(@sosotakei )さんはよくスポーツとお金の関係について、SNSなどで考えを述べられています。

 

 

これはだいぶ昔の投稿なので恐縮ですが、興味ある方は武井さんのTwitterやFacebookを遡ってみるといいかもしれません。

 

 

スポーツを仕事できる人は、ほんの一握りの選手だけだと思います。

それゆえにアスリートと呼ばれる人たちを特別視したくなるのだと思います。

正直、僕も周りでアスリートとして活躍する人に対しては、別人種のような感覚を覚えてしまいます。

 

 

だけど、ただスポーツが出来て、ただスポーツが仕事になっているだけであって、僕らと何も変わらない人間であることも、当たり前だけど覚えておく必要があると感じています。

朝、僕らが顔を洗うように、彼らはポメルを握っていたし、鉄棒で回っていただけです。

当たり前だけど、スポーツとお金を考える上で大事なポイントだと思います。

 

 

もうひとつ、スポーツとお金を考える上でのポイントとして、「好きだからやっている問題」を提起しておきます。

 

これもスポーツに限らないと思うのですが、よく「好きでやっているから頑張れる」とか「好きだから続けられる」とか、逆に「好きでやっているんだから…」と言った感じで批判的な文脈で使われることもあります。

 

もちろん「好きこそ物の上手なれ」的な側面もあると思います。

 

だけど好きだからって嫌なことがない訳ではない。

苦しいことは苦しいし、辛いことは辛いはずです。

 

それに対して「好きでやっているんだから云々…」は、ちょっと違うよねと。

 

 

特にお金に関しては。

生きてくだけでお金かかりますからね。

 

 

 

 

とりあえず、障害者ポルノと同様の「アスリートポルノ」なる現象が、スポーツの世界にも現象としてあるのではないかという、真夜中の考察でした。

 

ただ、別にそれ自体が悪いとか言うわけではなく、障害者ポルノもアスリートポルノも、行き過ぎは差別に辿り着いてしまうというか。

過剰なカテゴライズとでもいいましょうか。

自分とは違うという意識。別人種、別生物的な捉え方。

そういう見方でしか障害者やアスリートを見れなくなってしまうと、いろいろ歪みが生じてしまうのではということです。

圧倒的にアスリートや障害者と呼ばれる人たちよりも、僕たち「普通の人」が世界には多い(と思う)ので、彼奴等を自由に持ち上げたり批判したりするのは容易いので、注意が必要です。

 

 

 

かく言う僕が一番アスリートなる人々を特別視しているのかもしれない、という恐怖に怯えつつ、今日は眠りにつきます。

 

おやすみなさい。